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2008年5月号

「翻訳と通訳の違いとその雑感」

翻訳事始めの記事を足がけ5年以上にわたって書き続けてきましたが、今までに通訳ということを取り上げて記事にしてみることは一度もありませんでした。 確かに通訳と翻訳とは、似て非なるものでありますから、翻訳事始めの中で通訳をテーマにして記事として取り上げるということはなかったわけです。 私自身も要請があれば通訳者としてお客様のところまで出向くという程度のスタンスしか意識していませんでしたので、あくまでも弊社のコアビジネスは、翻訳という姿勢を創立以来貫いてきた次第です。 ところが、今月の翻訳トークの冒頭にも書きましたように、今年になりましてから、通訳の仕事が頻繁に入るようになり、継続して通訳の仕事をするようになりましてから、通訳の仕事についての考え方が自分の中でも変化していくのをつぶさに感じました。 ということで、今回は通訳の仕事と比較してみた中での、翻訳についても新しい考察を皆様にシェアしてみたいと存じます。

前置きが長くなりましたが、翻訳はTranslationで、通訳はInterpretationで、日本語でも英語でも表現の仕方は似てはいるものの、明らかにこの二つを区別しています。 今さらいうまでもないことなのですが、翻訳は、文書上で訳を行うことであり、通訳は、口語上の言葉で訳を行うことです。 ところがアメリカでは、多くの人がこのTranslationとInterpretationとの違いを明確に理解しておらず、文書と口語上の言葉とどちらのケースにもこの二つが、ミックスされて使われる傾向にあります。 その理由としては、アメリカの高校までの義務教育では、外国語の履修はあくまで選択教科の科目のひとつにすぎないため、外国語というものをまったく学習したことがないという人が少なからずいるからではないかと考えています。 またグローバル化の進展によって世界のどこへ行っても英語が通じるのではないかというような神話めいたことを信じて疑わない人もアメリカではそれほど珍しいことではないからなのです。

当然アメリカにいて普通に生活している以上、英語以外の外国語で本を読んだり、映画を見たりというようなことはほとんど必要がないことですので、アメリカ以外にすむ非英語圏の国々の人たちがどんなに苦労して英語を習得し、文書や会話で英語を使っているかということに理解を示すこともあまりないわけです。 英語以外の他言語で書かれた書籍や文書の翻訳作業ということも普段意識するようなことはほとんどありませんので、翻訳や通訳という言葉や概念自体がどうも希薄なものにならざるを得ません。 したがって、普通のアメリカ人は、翻訳と通訳の明瞭な違いということなど意識することもあえてしないという状態に置かれるわけなのです。

しかしながら、翻訳と通訳とは、異なる言語間での訳を行うという作業自体は同じですが、それ以外では、ずいぶんと異なる作業プロセスであることは、このどちらの作業をもご経験したことのある方でありましたら、十分お分かりになっていただけるだろうとお察しいたします。 私がお知り合いになった方々でも翻訳も通訳も両方ともほぼ均等に、かつ素晴らしい能力を持ってこなすことのできる方というのは今までほとんどお目にかかったことがありません。 それは要求されるスキルセットの内容が大変異なるのと、性格的な向き・不向きという面も多分に影響しているからだと考えております。

やはり言うまでもないことなのですが、翻訳と通訳の大きな違いのひとつに、翻訳はグーグルなどの検索エンジンを駆使して、自分自身で調べ上げることによって訳の品質を高めていくことが出来ますが、通訳はその場限りの作業プロセスになりますので、ウェブサイトにアクセスして、検索エンジンで調べ物をしてなどということは通常まかり通りません。 もちろん事前にグーグルで対象となるテーマについて調べることは出来ますが、通訳はいわば“出たとこ勝負”的な要素が常につきまといますので、前もって調べたことが役に立つという保証はありません。つまり通訳の方が翻訳に比べて確かにリスクが高いわけです。

そのために、どんなリスクも極力避けたいという安全志向の強い方には確かに語学能力がどんなに高い人であっても通訳は、向いていないということが言えるでしょう。 逆に取るべきリスクは取るという姿勢を持つ人には、通訳はあっているとも言えるでしょう。 そして他人と話をしたり、おしゃべりを楽しんだり、あるいは社交などでのお付き合いをすることが好きという人も通訳には合っていると申せましょう。 知らない人と会ったり話をしたりするのはどうもは苦手と感じる方には、確かに通訳することは苦痛で、避けたいことになるでしょう。 それでも世の中はそのどちらに当てはまるのか、自分自身でも明確に分かっている方々ばかりでもないはずなのです。

通訳はどちらかというと今までは頼まれ仕事の延長ということでお受けしていたこの私も自分には通訳が向いていると感じたことはほとんどありませんでした。 しかし、通訳の場数をこなし、アメリカと日本との言葉と言葉以外での様々な違いがだんだんと見てるようになってきた今は、通訳が少なくとも自分の中で非常に楽しい仕事に様変わりするようになってまいりました。 それは、言葉を聞くことによって、ああこの人はこういうことを言いたいのだなという言い手の本質をかなり正確に知りえるような“気付き”が自然と涌いてくるようになったからだと思います。 それは勘が働いてそのような気付きとなっているのではないだろうかと言えるのですが、それを可能にしてくれているのは、言葉の表層だけでは捉えきれない部分での文化面や社会性における内面での蓄積が長年かけて出来てきたからではないかと感じる次第です。

翻訳は確かにリサーチを効果的にそして緻密に行うことによって、経験で得られる以上の成果を発揮することが出来ると思いますが、通訳は、そのような事前のリサーチがあまり効かないというか、当てにならない博打的なところがあり、勘を働かせて一発勝負にどうしても打ってでなければならないという面がありますので、頼るところは己の経験と柔軟性ならびに守備範囲が広いということが武器になります。 ある特定分野での専門知識を深く持つことも無論重要なことではあるのですが、多くの領域に関して浅くとも広範囲な知識を蓄積するということも、通訳者の努力としては、芸を磨く上でより重要ではないかと考えます。

通訳を何度も経験することによって、翻訳スピードが最近になって速くなるという副産物的なメリットが自分が翻訳をする上で身に付いてきたのは、意外な恩恵でありました。 恐らくそれは、常に観察と勘とを働かせながら、通訳に取り組まなかれなばらないという姿勢がもたらせてくれた恩恵なのではないかと思っています。 通訳の場を何回も重ねる中で、翻訳のスピードと精度とが増していくというのは、考えてみれば当然のことなのかもしれません。 しかしながら翻訳と通訳を提供する会社でありますが “二兎追うものは一兎も得ず”などと陰で言われないように、やはり両方のバランスを取っていくことが経営上に何と言っても不可欠です。 その意味で、“翻訳と通訳のバランス取り”が、今後とも弊社の、そして私自身においてのチャレンジであり続けることは当分間違いない課題でもあります。


Ken Sakai
President

kenfsakai@pacificdreams.org

   

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